OBオケの練習 [音楽(トランペット)]
秋空の元、府中の森芸術劇場ウィーンホールにてOBオケのリハーサル。
ステージの組み立ては自分たちでやる。ホールの係の方に「リーダー誰ですか!?」と聞かれても、「????」。団員はそれぞれ状況認識して勝手に動いてあっという間に三段のひな壇組み立て完了。それをきっかけにわらわらと椅子と譜面台が運び込まれて設定完了。アリの集団。
演奏のほうはまだまだ練習不足。11/17(日)の本番に向けて練習は残り5回。頑張ろう。
皆様ご来場お待ちしております。(入場無料です。)
iOS7 [季節もの]
iOS7がリリースされて1週間。パッチが2回出て7.0.2になったのでそろそろいいだろうと思ってアップデートした。
文字が細くなってアイコンがのっぺりした。iPhoneを手に持って傾けると壁紙が動いてまるでアイコンが浮かんでいるような錯覚になる。面白いけど電池が減りそうで心配。
今まで3G, 4, 5とsを飛ばして乗り換えてきたが今度のiPhone5sは迷い中。ハードの進化はあまり魅力を感じないが、キャリアの選択肢が広がったので迷っている。今はauとSoftBankのsmartphoneの2台持ちだが、北アルプスの登山中はどちらもほとんどつながらず、電波探してあっという間に電池が無くなる。どちらかを山に強いdocomoにしたいと思っていた。「ドコモへお帰り割」なるサービスがあるのは同様のケースが多いということか。
白馬連峰 [おでかけ]
吉野家の牛丼 [おでかけ]
大学に入学したばかりの頃、月末に仕送りを使い切りそうになるとよく吉野家に行った。あの当時の吉野家の牛丼の品質はひどいもので、肉は細い輪ゴムで編んだ網のよう。うっかり飲み込んで噛み切れずオェッとなって涙を浮かべて食べた。「貧乏だからこんなものしか食べられないんだ。いつかこんなもの食べずに済むようになってやる。」と思った。 ほどなく吉野家は倒産したと聞いて、さもありなんと思った。
以来約30年、吉牛を食べたことがなかった。松屋もすき屋も行ったことがない。おれはあんなもの食いに行かずに済むようになったのだと思っていた。ところが最近周囲から今の吉野家は違うぞと聞かされた。BSEを乗り越えて強く旨くなったのだとか。
そこで勇気を出して吉野家に行ってみた。
牛丼大盛440円。当時のことが思い出されて泣いてしまうかもと思っていたが、なんの感慨も浮かばずあっという間に流しこんでしまった。旨くも不味くもない。ただ腹いっぱいになった。なんだか拍子抜けだった。
手打ち生蕎麦弁天本店 [そば屋めぐり]
唐松岳頂上山荘で宴会2日目(9/8) [登山]
昨夜8時間飲んだのち、すいてる山荘でぐっすり9時間寝て朝飯食べたらとりあえず山頂に行ってこよう。振り返れば赤い山荘が見える。本日も雨だが透明度は高い。
ほんの20分ほど歩けば頂上到着。やっぱり泊りで登る山ではないですな。
いったん小屋に戻って荷物をとって、8:00ごろから下山開始。昨日は霧に隠れて全容が見えなかった雪渓。想像よりずいぶん小さかった。
これも昨日は見えなかった八方池。人の顔みたいな八方ケルン。
この後ぽかぽかランド美麻で温泉に入り安曇野へ戻った。お疲れさんでした。
唐松岳頂上山荘で宴会1日目(9/7) [登山]
唐松岳は日帰りが普通なのだそうだが、そこをあえて一泊して宴会しようという趣旨の登山。予報は雨だが主目的が宴会なので決行。7:00に黒菱駐車場に集合、リフトを乗り継いで八方池山荘へ。ここから5人x3グループに分かれて唐松岳頂上山荘を目指す。
しばらくは木道を歩く。濃霧で視界は10mほどか。八方池は霧の中。
名を知らぬ高山植物は雑草に見えてしまう。ならば暫定的にも名をつけようということで「ミヤマセンコウハナビ」、「ミヤマヒゲモミジ」。
丸山ケルンで休憩していたところ6羽のライチョウが編隊で飛んできて着陸した。飛んでるライチョウを見たのは初めてだ。それにしてもライチョウの鳴き声はカエルそっくりだ。飛んでるライチョウは撮れなかったがハイマツの隙間に10匹以上いた。
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これが崩れたら一貫の終わりな木の橋を渡って、12:15 「唐松岳頂上山荘」に到着。
濡れた服を着替え、それぞれ持ち寄ったつまみを出して早速宴会開始。
晩飯を挟んで消灯直前まで約8時間飲み続け。
サイトウ・キネン・フェスティバル松本2013 [音楽(トランペット)]
サイトウキネンのオーケストラコンサートを聴いてきた。
モーツァルト:交響曲第33番 変ロ長調 K319
リゲティ:フルート、オーボエと管弦楽のための二重協奏曲(日本初演)
R.シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」 op. 30
昨年のオーケストラコンサートもリヒャルトシュトラウスのアルプス交響曲だった。今回のツァラトゥストラはリヒャルトシュトラウス30代の作曲で、雨も嵐もかかってきやがれ的な、自然に打ち勝とうとする力を感じた。今の流行りで言うなら「倍返し」みたいな。一方で昨年のアルプス交響曲は50代の作曲で、アルプスの自然に対する畏怖や敬意を表現していたように思う。
確固たる意志を持ってどんな状況変化にもへこたれず初心を貫くものが勝ち残るのか、環境の変化に合わせて柔軟に戦略を変えるものが結果的に生き残るのか。